論文・エッセイ

火山に恋して – プレートテクトニクスの視点から考える、ミニマルアートの現在形

 日本は、火山でできた島国である。太平洋、フィリピン、ユーラシアの3つの地殻プレートが重なり合うことで生まれたため、日本列島は高い山々や深い海溝など起伏に富んだ地形をもつに至り、世界有数の地震大国となっている。

 火山の島国、という視点から日本の神話を見てみると、712年に太安万侶(おおのやすまろ)によって献上されたとされる日本最古の歴史書「古事記」の中に、火山や地殻変動を想起させる興味深い箇所がある。

 男の神、伊邪那岐(イザナギ)と女の神、伊邪那美(イザナミ)は、天に浮かぶ高天原(たかまがはら)の神々に、漂っていた大地を完成させることを命じられ、天沼矛(あめのぬぼこ)を与えられた。2人が天沼矛を使って混沌とした大地をかき混ぜたところ、矛から滴り落ちたものが積もって、淤能碁呂島(おのごろじま)となった。できた島に降り立ったイザナギとイザナミは結婚、性交を始めると島々が生まれ、それが日本列島となった。

 その後イザナミから生まれた太陽神、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、高天原の統治を任されるが、海原の統治を委任されたはずのスサノオが高天原で乱暴をはたらいたため、天照大神は天岩戸(あまのいわと)に隠れてしまった。太陽が隠れ、闇となった世界には様々な災いが生じ、八百万の神々は、どうしたらよいものか、互いに相談した。

 隠れた太陽を元に戻そうと岩戸の前で様々な儀式が行われる中、芸能の女神アメノウズメが胸をさらけ出して踊ると、八百万の神々が一斉に笑った。その声を聞いた天照大神は、何事かと岩戸の扉を少し開けた。すると隠れていた神が鏡を差し出し、天照大神が鏡を覗き込んでいる間にその手を取って、岩戸の外へと引きずり出した。岩戸の入口にはすぐさま注連縄が張られ、もう中には戻れない。こうして高天原は明るさを取り戻したという。

 大地をかき混ぜることで日本列島が生まれた、さらに天岩戸が開いて太陽が出てきた、というイメージからは、日本の自然信仰が、地震や火山の噴火、流動するマグマなどの地殻変動に影響を受けてきたことが想像できる。

 神道は、自然崇拝、いわゆるアニミズムが体系化することで生まれたが、そのシンボルの1つである鳥居は、神が降りるという山中の岩、磐座(いわくら)が定型化したものといわれている。天岩戸の伝説と同じく、磐座は、大地の裂け目から神が出入りするという火山崇拝そのものではないだろうか。また、古来より存在し、江戸期に最盛期を迎えた、富士山を御神体とする富士信仰は、火山の島国がもつアニミズムの最も端的な表れとは考えられないだろうか。

 磐座は鳥居のみならず、日本庭園における石組の源流となったとも考えられているが、私は、現代アートにまでその影響を見ることができると考えている。例えばマイケル・ハイザーやロバート・スミッソンのアースワークや、リチャード・ロングのミニマルなコンセプチャル・アートには、日本の神社や磐座、さらに日本庭園の形態への接近を指摘できる。

 仏教とは異なる、自然崇拝の神をテーマとした「神像」が彫られるようになったのは、日本に仏教が普及した8世紀以降とされる。日本古来の神々を仏に置き換える本地垂迹の考えが広まり、神仏習合の定着とともに、神像づくりが盛んになったという。当時の日本人は、落雷にあって破損した木を、神が宿る霊木として崇め、できるだけ手を加えずに神像を作ったとされるが、それは現代の作家ウァルター・デ・マリアの作品にも通じる。山小屋に籠もり、鉄の棒に雷の落ちる瞬間を鑑賞するという「ライトニング・フィールド」は、現代美術という言葉をまとった新たな自然信仰のようだ。さらに、マイケル・ハイザーの巨岩を使った作品群は、その形状からして、まるで磐座そのもののようだ。西洋のモダニズムにおける1つの終着点であるミニマルアートが目指したのは、ある種の自然信仰への回帰だったのかもしれない。

 初めてアイスランドに渡ったときのことだ。絨毯のような美しい苔に覆われた岩場だけの地平線を、ブルー・ラグーンと呼ばれる温泉に向かってレンタカーで走った。(後になって、アイスランドには、日本と同じく苔の美学があるのだということを知った。)気温が低いせいだろうか、空高くまで垂直に上る真っ白な蒸気を眺めながら温泉に浸かっていたら、体の内部が何かに突き動かされるような、不思議な気持ちにおそわれた。この感覚はいったい何なのだろう ─ その後あれこれ調べていくうちに、そこが世界で唯一ともいえる、地球の割れ目であったことがわかった。プレートの移動により地殻の変動を説明するプレートテクトニクスの理論では、地球はアイスランドのプレートの境目から生まれ、プレートが沈み込む日本で消滅しているという。

 アイスランドの首都レイキャビクは煙の港(Smoky Bay)という意味だが、火山活動が盛んなため、至る所に温泉や間欠泉がわき出し、蒸気が上っている。近年では、火山活動を利用した地熱発電により、無尽蔵とも思える電力を作ることで産業が活性化し、2008年の通貨危機前には世界第2位の一人当たりGDPを誇る富裕国へと変貌した。*1

 火山国という共通点を持つ日本とアイスランドが、奇しくもプレートの生成と消滅の両端にあたっているという地質学的な事実に鑑みて、二つの国がそれぞれ自然の力から大きな影響を受けて文化を育んできた可能性を追いかけてみようと考えたのが、この展覧会の始まりと言える。調べるにつれ、私の関心は、アイスランドにも日本と同じく自然崇拝の傾向があるのではないか、という考えに絞り込まれていった。

 アイスランド人には、日本人と同様に、自然を支配するものではなく、共生するものと捉える視点がある。捕鯨活動を自然の営みと考え、苔を美しいと讃える点などに、その類似性が端的に表れている。さらに、ケルト人との混血でありながら、北欧の言語と文化が優先される環境の中、独自の文化を生みだしてきたアイスランド人の歴史は、大陸文化を貪欲に取り入れながら、独自の文化を作り上げてきた日本人のそれと類似している。

 日本には一神教がほとんど成立していないが、アイスランドも1000年にキリスト教を国教とする前は、多神教を信仰していた。それを知るのにぴったりな、こんな逸話がある。

 アイスランドは、世界で初めて近代議会を持った共和国である。930年、各定住地域の代表がレイキャビク近郊の丘で、立法と司法の機能を備えた「アルシング(Althing)」と呼ばれる議会を開いたのがその始まりである。

 当時のアイスランドでは、北欧神話の神々への信仰を守ろうとする人々と、ノルウェー王オラフの強い求めに従ってキリスト教へ改宗しようとする人々とが激しく対立していた。1000年に開かれたアルシングの場でも激しい論争が繰り広げられ、戦いが始まりかねない雰囲気となったそのとき、近くにあった2つの火口で同時に噴火が起き、溶岩流が農家や神殿を襲っているという報告が届いたという。

 「噴火は古い神々の怒りだ」と主張する人々に対し、キリスト教徒のスノリ・トールヴィンソン*2が、「人間が移住する前のアイスランドにおける火山活動も神々の怒りであるとしたら、そのころ神々は何に対して怒っていたというのか」と問うと、人々は静かになって話し合いは急速にまとまり、キリスト教を国教として受け入れることが決まったという。*3 このとき起こったスヴィナフラウンスブルーニの噴火は、「キリスト教の溶岩(Christianity Lava)」と呼ばれている。*4

 アイスランドの歴史は、火山によって作られたと言っても過言ではない。ひるがえって、日本における火山活動は、日本文化にどんな影響を与えたのだろう。私はこんな仮説を立ててみた。

 日本では、フォッサマグナ以北で縄文土器が多く出土する傾向がある。つまり、何らかの理由で、本州北部に縄文文化が取り残されたのではないだろうか。約4500~3200年前、富士山頂からは溶岩が噴出していたと考えられているが、この時期の富士山の噴火が、日本列島におけるフォッサマグナ以北を地理的に分断し、その結果ユーラシア大陸から日本本島西方へと広がった弥生文化の北部への流入を遅らせたため、北部に縄文文化が取り残された、と考えることはできないだろうか。

 フォッサマグナの名付け親は、ナウマン象にその名を残す明治期のお雇いドイツ人地質学者のナウマン博士であり、日本人がプレートテクトニクスの概念そのものを受容するのにはかなりの時間がかかっている。さらに「縄文」という名称も、動物学者エドワード・S・モースが1879年の著書『大森貝塚』にて、自ら発掘した土器をCord Marked Pottery と報告し、それを植物学者の白井光太郎が「縄文土器」と翻訳したことに由来している。

 火山が日本の歴史形成に与えた考古学的な裏づけは、これから始まると考えても良い。日本が火山の島であり、そこから自分たちの文化が生まれていることに、日本人が気づいていない可能性は充分にあるのだ。

 地震の原因を、地下に住む巨大ナマズが暴れたから、と信じた日本人と、コーヒーカップがガチャリと音をたてただけで、エルフのいたずらだと言うアイスランド人。私たちは、一神教的世界観ではなく、スピノザ的な汎神論の世界に生きているのではないだろうか。

 考える自己そのものを零ポイントとすることで概念や主体が生まれるというのが、大陸を舞台とした西洋近代の思考だが、土地そのものが変形する火山国家では、考える自己を零ポイントとする視点は根付きにくかったのではないだろうか。仮にそうだとすると、汎神論的、アニミズム的な視点から生まれたものをある程度体系化、言語化することで、モダニズムのいまだ見出されていないパーツを補完することができるのではないか。

 本展示のタイトルとして引用したスーザン・ソンタグの小説「ザ・ボルケーノ・ラヴァー(火山に恋して)」において、火山の噴火は革命と動乱のメタファーでもあり、性的アナーキーのメタファーでもあった。私は、本展「ボルケーノ・ラヴァーズ」において、2つの火山の島国から生まれたミニマルな現代美術表現を比較し、そこに感情を根底から揺り動かす共通の力を見いだすことができたら、と願っている。

注釈

  1. Gross domestic product per capita, current prices($) in year 2007, Created by IMF. http://www.imf.org/
  2. ドイツ語にて書かれたヴァルター・ハンゼンの著書「Asgard: Entdeckungsfahrt in die germanische Götterwelt」の日本語訳では、スノリ・トールグリムソンと表記されているが、他の研究書籍を参照すると、正しくはスノリ・トールフィンソン(Snorri Thorfinnsson)だと思われるので、修正を加えておいた。
  3. ヴァルター・ハンゼン 「アスガルドの秘密 北欧神話冒険紀行」 小林俊明・金井英一訳、東海大学出版会 2004年P290-292,315
  4. Geochemistry Geophysics Geosystems. Article Volume 6, Number 12 Published by AGU and the Geochemical Society 31 December 2005 P16