論文・エッセイ

宇治野宗輝「Duet」に寄せて − 日本の伝統における想像的存在のリアリティ

渡辺真也

 唸る様なモーター音と閃光を発する、車用ワイパーに掛けられた二枚のデニムシャツ。それらが宇治野宗輝の舞台型作品「Duet」のパフォーマーたちです。ワイパーの動きは多少ぎこちないですが、まるで生きているかの様な印象を与えます。二つのワイパー・シャツはまるで人間かの様に、ボーイ・ミーツ・ガールのシナリオさながら舞台の中央でお互い近寄ると、共に踊り、そして再び離れて行きます。

 この機械仕掛けのパフォーマンスの誕生の背景には、日本の伝統である「能」の影響があります。宇治野はある日、なぜ能の動きは機械的なのだろうか?と疑問に思いました。能の演者にそれを尋ねた所、能の庇護者である将軍に分かり易く教える必要から、その動きが機械的なものになっていった、と答えられたと言います。その話に触発された宇治野は、モーターの機械的な動きを使うことで能の機械的な動きを真似ることができると考え、彼自身の現代版能舞台を作ったのです。

 室町時代(1337~1573)将軍足利義満は、家畜の解体作業や葬儀屋などを営んでいた、川べりに住む河原者をパフォーマーとして保護しました。そのパフォーマーの一人である世阿弥(1363~1443)は、高度にコード化された能を完成させた人物です。鎌倉時代の仏教変革後、無限の光をもつとされる「阿弥陀如来」にちなんで名づけられた世阿弥は、生と死をいったテーマに取り組みました。

 能の起源は、日本誕生にまつわる神話に関係づけられています。能を完成させた世阿弥は、アジア大陸に起源を持つ一族、秦河勝の子孫を自称していました。秦河勝は紀元前3世紀の秦国の初代皇帝の生まれ変わりを自称した、聖徳太子の為に66の猿楽を作った人物です。能には紀元前2世紀にグレコ・バクトリア王国と戦った古代のイラン系民族「月氏」の話も含まれており、佐伯好郎博士は1907年、秦河勝はイスラエルの失われた部族の一員ではないか、と主張しました。

 また宇治野が学んでいた東京芸術大学の創立メンバーの一人、アーネスト・フェノロサによる能の英語訳は、1910年代のロンドンでエズラ・パウンドを魅了し、彼のいくつかの演目に多大な影響を与えました。さらに第二次世界大戦後、密教から大きな影響を受けた「具体」のアーティスト白髪一雄も、「三番叟」と呼ばれる近代能劇の衣装を作っています。

 能は時に死者の観点に立ち、神や精霊といった超自然的な世界観を扱います。能では「仕手(シテ)」と呼ばれるパフォーマーが、自分の顔より小さな能面をつけて演じますが、そこには表情がありません。しかし、能面を上向きに傾けることで喜び(照ラス)を表し、面を下向きにすることで悲哀(曇ラス)を表現します。つまり能面をつけた仕手は、「あの世(面)」と「この世(素顔)」の両方をもたらし、リアリティという意味の境界線をなぞるのです。

 主体と客体を分離する西洋近代において、アニミズム的な形而上学的世界に存在し、あたかも虚数の如く、デカルト座標平面に現れない日本的な虚体という概念を把握することは困難かもしれません。それ自身に感情表現を持たない能面は、虚体と実際の身体の間にリアリティとしての境界線を引くことにより、表現のマルチチュードを獲得しているのです。

 しかし、ここにおける宇治野の天才は、私たちの住む近代社会における日本の虚体を、彼自身のリアリティとして表現しようと試みた点にあります。20世紀の近代的物質文明の研究を通じて、宇治野は日本とは、日本の伝統の上にアメリカ近代文化の模倣が接木された国だということに気付きました。だからこそ、宇治野は日本の伝統である「能」の文脈を背景に、ワイパー(=仕手)やデニムシャツ(=能面)といった、アメリカ近代の商品を用いたのです。 宇治野は「Duet」において、ありふれたアメリカ文化(ワイパー・デニム=現実、生)と、廃れつつある日本の伝統(=仮想、死)とを接続することによって、生者と死者の間にある曖昧な境界線を、最も原初的な方法で描き出すことに挑んでいます。

翻訳:長倉友紀子(英文テキストより訳出)

duet – PSM Gallery
http://www.psm-gallery.com/content/tba-2