論文・エッセイ

パブロ田中さん、NYへやって来る

私は去る2005年3月、沖縄にて展示「もう一つの万博」に関するプラットフォームを開催した。場所は沖縄国際大学前の、普天間基地の米軍ヘリコプターが墜落したすぐ目の前。国民国家問題をテーマとして扱う私は、日本でのプラットフォームを、どうしてもここから始めたかった。

会場は沖縄国際大学の目の前にある洋食レストラン「パブロ」。オーナーのパブロ田中さんは鹿児島出身の職人気質のシェフで、70年代にはコロンビア、フィラデルフィア、ニューヨークにてシェフをしていたと言う。その南米コロンビア時代の彼のヒスパニックネームが「パブロ」であり、その後日本に帰国、沖縄へと渡った後、レストラン「パブロ」を開業したそうだ。大卒の初任給が$100の時代、そして沖縄では$3000で家が買えた次代に、パブロさんはニューヨークで稼いだお金$800を持って帰ったと自慢していたから、相当腕利きのシェフだったのだろう。そんなパブロさんと私は大変馬が合って、すぐに意気投合してしまった。

そんな矢先、沖縄でのプラットフォーム終了後、パブロさんから人探しを依頼された。パブロさんがニューヨークに住んでいた76年時代に大変お世話になった友人である「じっちゃん」を探してくれ、という依頼であった。

1976年当時、「じっちゃん」はグリニッジ・ビレッジのジャズバー「ビレッジバンガード」の前にあるアパートの3階に住んでおり、お寿司屋さんに鮮魚を卸す仕事をしていたと言う。本名は「石丸さん」というのだが、いつもじっちゃんと呼んでいたので、下の名前を忘れてしまったと言う。まあ、もう30 年も前の話なのだから無理もない。

じっちゃんとパブロさんは同じ鹿児島の出身、さらに当時は珍しかった日本人同士という事もあり、大変仲がよかったそうだ。また困った時には、いろんな面でお世話になっていたと言う。しかし10年ほど前から彼と連絡が取れなくなり、さらに鹿児島の本籍の方も消滅、完全に連絡が途絶えてしまったそうだ。そこで、私がパブロさんに人探しを頼まれたという訳である。

そこで、私は早速ニューヨークの日系コミュニティにあるインターネット掲示板に情報を書き込んだ。すると早速、5人の日本人女性の方からお返事があり、その全員から老舗の日本食レストランを当たってみてはどうでしょう、という提案を受け、いろいろなレストランの名前を教えて頂いた。では私がニューヨークに帰ってから探そうと思っていた矢先、ニューヨーク生活数十年になるという年配の女性の方が引き続き「石丸」さんを探してくれており、ブルックリンにて魚問屋を営んでいるという「西丸」さんという人物を見つけたとの連絡が入った。名前はニアミスだが、長いこと問屋をやっているという経歴から考えてみてほぼ間違いないのでは、との事であった。

そこで早速、パブロさんにその報告をしてみた。「ううん、石丸さんではなく西丸さんか、そんな名前だったかなぁ」、なんて話していたが、私は「とにかく電話してみて下さい」と伝えておいた。すると、数日後、パブロさんからお電話が。「西丸さん、じっちゃんでした。ありがとうございました。」

その後、とんとん拍子で話が進んで、パブロさんがじっちゃんに会いにニューヨークに来ることに。パブロさんはじっちゃんに会いに行くついでに、奥さんと一緒にオペラを見て、そして私とは一緒にジャズを聞きに行こう、という事になった。それでは、という事で待ち合わせ場所に私が選んだのは、もちろんグリニッジビレッジのビレッジバンガード。

パブロさん曰く、じっちゃんとの本当に久しぶりの再開も、昔と変わらない人柄に触れることができて、本当に懐かしい気持ちになったそう。そしてパブロさん自身も、久しぶりに訪れたニューヨークを心底楽しんでいる様に見えた。その後、ニューヨークの話しやら沖縄の話をしながらすきっ腹で白ワインのボトルを空けていたら、大分酔いが回ってきた。

ビレッジバンガードは私にとっても思い出の場所だ。私の座った席のちょうど目の前に、トミー・フラナガンの白黒写真が飾ってあったのだが、昔からそこに飾ってある同じ写真を見た瞬間、当時の記憶がフラッシュバックしてきた。19歳の時に初めてニューヨークに来た時、私が一番最初に行ったのがビレッジバンガードで、その後ニューヨークに引っ越した時にも一番最初に行った場所がここだった。偶然にも2つともトミー・フラナガンがピアノを引くトリオの演奏だった。「Maybe you know my name, my name is Tommy, Tommy Franagan.」と言ってピアノを弾き始めた老年のフラナガンの姿が、まるで昨日の事のように鮮明に思い出された。私が2回目の演奏を見た数ヵ月後、彼はこの世を去ったが、彼が亡きあと、この白黒の肖像写真はあたかも慰霊碑の様に私の目に映った。

私は人生における共時性を信じている。なにかこういった偶然の様なものが、大切に思えて仕方がない。そして、こういった出来事に美術展示を通じて出会っていけた私は、本当に幸せだと思う。

もう一つの万博プラットフォーム in 沖縄