論文・エッセイ

ニューヨーク・ロウアーイーストサイドとパブリックアートの憂鬱

ロウアー・イースト・サイドを見下ろすレーニン像 ちなみにこの建物の名前はRed Square(赤の広場)で、オーナーはユダヤ系アメリカ人

私はNY市マンハッタンのロウアーイーストサイドの安アパートに住んでいる。他の住人は、半数がヒスパニック、残りが黒人と中国人、それとごく僅かの旧共産国出身の低所得者たちで構成されている。いわゆる普通の白人がいない、ゲットー地域とも言えるエリアだ。元々80年代まではヒスパニック系のロイサイダー(ヒスパニック系の住民がLower East Sideと正確に発音できない事から、彼らはロイサイダーと呼ばれていた)が住む地域であったが、現在は数多くの人種が混在する地域になっている。私にはここが大変居心地が良く、個人的にはニューヨークで最も魅力的なエリアではないかと思っている。

町の建物やファサードには、この町がカリブ海からの移民で構成されている事を物語る、カラフルな色彩が目立つ

魅力の一つは、何と言っても生活費の安さだ。いろいろな品、サービスがマンハッタンの中心部より大分安く手に入る。マンハッタンの大型ビデオチェーン店でレンタルビデオを一本借りると5ドル近くするのだが、ここでは一本1ドル50セントで借りられる店がある。ズボンのすそ上げサービスもスラックス一枚で3ドルだったが、これはマンハッタンの他の地域の値段の3〜4分の1の価格である。また、これらの店は全てヒスパニックの人達が運営している。

先日、ポール・クレイというビデオアーティストと話をしてきた。彼は60人以上のアーティストが住む旧小学校を利用した巨大なアーティストインレシデンスClemente Soto Velez Cultural Centerの代表でもある。

地下鉄Delancey駅に作られたMing Fayによるパブリックアート作品

彼は、「友達が地下鉄デランシー駅の壁画を作ったんだよねー。これ、綺麗じゃない?」と言って写真を見せてくれた。しかし、私は複雑な気分になってしまった。なぜなら、このパブリックアートプロジェクトは、ロウアーイーストサイド再開発の為の序曲に過ぎないからである。

ロウアー・イースト・サイドの日常の光景 いつも住人達がブラブラしている

ロウアーイーストサイドは、マンハッタンの中でハーレムを除き、開発を逃れた唯一の地域である。ハーレムは南部を除き開発を逃れているが、それは開発する為に必要な経済的魅力が少ないからである。SOHOやチャイナタウン、イーストビレッジまで歩いて20分という立地にこれだけの広範囲のゲットーがあるのは、デベロッパーとしては再開発地として非常に魅力的なのである。

最近、この近辺では道路工事が頻繁に行われているが、それは高層ビルが建った際に必要となる電気、ガス、水道、下水などのインフラ整備の為である。2007年頃にはこの近辺にタイムズスクエアを思わせる巨大ビルがいくつか建つ予定との事だが、それが古き良きNYの面影を残す近辺の商店街地域を直撃している。またこの地域には数多くのアパレル産業が乗り出し、第二のSOHOの様な状況が生まれつつある。

綺麗に舗装された歩道 工事の際、水道管の強化などビルを建てる下準備が行われていた

80年代から90年代にかけて、つまりジュリアーニの時代にタイムズスクエア周辺が再開発され、タイムズスクエアの7Avあたりにあった風俗産業地帯が根こそぎ一掃されてしまった。後に残ったのは、スターバックス、マクドナルド、それと吉野家など大型チェーン店である。人気のあったダイナーや、小さな規模の喫茶店も、地上げなどと共に消え去り、ツーリスト向けの店だけが残った。また、この時代にも、パブリックアートは再開発の名目として行われており、そして一部のアーティストは、パブリックアートによる町の美化を名目に、企業ビルの内装にさえ駆り出されていた。つまり政治家とデベロッパーがここでも癒着し、公金をアーティスト救済と美化を名目に私有ビルの改装に使ったのである。

ある日、私の元にあるアメリカの大学から世論調査の電話がかかってきた。ワールドトレードセンター跡地の再利用と、ロウアーイーストサイドの再開発に関しての調査の電話であった。私は調査の為の質問に答えていった。

「現在、ロウアーイーストサイド地域が道路など含め、とても美しくなっています。あなたは歓迎しますか」
「はい」、と私は答えた。
「美しくなるのを歓迎しているのですね。それではあなたはロウアーイーストサイドの再開発を支持しますね」
「いいえ」
「それでは・・・」

私に対する質問は15分ほど続いたのだが、これは明らかに誘導尋問であった。私は直感的に、デベロッパーと政治家が広告代理店とつるんで大学を利用しているのだ、と感じ取れた。こんなプロジェクトに名前を貸している大学側も、地に落ちたものである。

大学側と企業の癒着はNYでも珍しくない。クッパーユニオンとクライスラーの関係は有名である。クライスラービルの地所は未だにクッパーユニオン大学名義の所有地になっており、クライスラー側は税金を納めていない。もちろんクライスラーは教育サービスを行っていないし、大学側もオフィスがビル内部にある訳ではない。これはあきらかな脱税行為だが、彼らは上手い具合に優良な弁護士を利用し、その網をくぐり抜けている。

ポール・クレイが代表を務めるClemente Soto Velez Cultural Centerには、60名を越すアーティストのレシデンスとシアターを備える

ちなみにポールは、数年前に11億円に及ぶ建物のリノベーションと振興費用をNY市から取り付けていた。しかし、この復興資金の取り付けを市のデバロッパーが一方的に延期してしまったのである。アーティストが立ち去るまで、市が兵糧攻めにする算段である。その為、工事の為に組み立てた足場は何年も放置されたままである。

ヒスパニックのアーティストが多く住むこのアーティストインレシデンスは、スペインから建築家を招き、一階を4方向から入れるガラス張りのカフェ兼ギャラリースペースに改装し、地元住民とアートとのふれあいを目的にした新しいスペースへと生まれ変わる予定であった。しかし、今でもうす汚い建物のままである。あたかも、さっさと取り壊してしまえ、という意見が地域住民から出てくるまで待っているかの様である。

サルサの女王、セリア・クルズの壁画 彼女が亡くなった時は、ニューヨークでは大ニュースでした

しかし、再開発が進んでいったら、ここに暮らす数十万人に及ぶ貧しい人達はどこへ行けば良いというのだろう。これだけ多くの人達の人生が、ほんの一握りの政治家とデベロッパーに委ねられている。

マンハッタンが安全になった、と喜ぶのは安易である。貧しい人達がマンハッタンから締め出されているだけである。

町をきれいにする事はアーティストにとって本望であるが、それが再開発の為であったら話は別だ。ロウアーイーストサイドに住むアーティストにとって、再開発に手を貸すのは自分の首を絞めている様なものである。

アーティスト、又はキュレーターがこういった公共プロジェクトとどう付き合って行くのは大問題であるが、パブリックアートは、本来の意味でパブリック、つまり公共の為のアートであって欲しいと心から願う。

私のお気に入りの店

私のお気に入りのワイン屋 KGB Liquor 人懐こいロシア出身のオーナーがいつも元気に出迎えてくれる

店の中のポスターでは、何と店長がスターリンと入れ替わっています 店の中には細工がいっぱい!NYに来たら立ち寄ってね