もう一つの万博プラットフォーム in 沖縄: 2005年3月12日 at 沖縄国際大学前洋食店「パブロ」

パネリスト

渡辺真也 (スパイキーアート キュレーター)
ティトス・スプリ  (アーティスト、琉球大学助教授)
山城知佳子 (アーティスト、琉球大学非常勤講師)


プラットフォーム会場は、米軍ヘリ墜落現場である沖縄国際大学と普天間基地の目と鼻の先・・・

 

(Photos by Takeshi Oyadomari; Thanks!)


レストランの「パブロ」様 お世話になりました


前座で行なわれた、パブロ・オーナーの田中さんの娘さんのバイオリン演奏に皆うっとり

 


万博とその歴史について語るキュレーターの渡辺真也


ドイツにおける国民国家形成の歴史を語るティトス

 


語るティトスと真剣に話を聞くオーディエンス達


ティトスのトークに大爆笑する、写真家の石川真生さん

 


自身の作品の説明をする山城知佳子


パブロのオーナーである田中さんとプラットフォーム参加者たち

 


ビデオ作品を上映しながら、作品と沖縄の関係について語る山城氏


熱心に耳を傾けるプラットフォーム参加者たち

 

「沖縄」について何を語れるか、そして何ができるのか (2005/3/17)

渡辺真也


3月12日、アメリカに続き日本にて初となる「もう一つの万博」プラットフォーム第一回が沖縄にて、非常に和やかな雰囲気の中で行なわれた。プラットフォームの開始時間が20分ほど遅れてしまったのが私には気がかりであったのだが、それを皆が気にする所があまりないのは、沖縄の持つ雰囲気といった所だろうか。
 
レストランいっぱいに約40人が集まって下さり、椅子に座れない人が何人か見受けられる中プラットフォームは和やかに進行した。前座ではレストランオーナーの田中さんの娘さんが、バイオリンにてガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」を演奏し、それに続く形でパネリストのプレゼンテーション、そしてディスカッションが始まった。

私は、プロジェクタを用い、まずキュレーターとは何か、という話から始め、その後なぜ私が国民国家問題に興味を持ったか、という経緯や、なぜこの国民国家問題をテーマとした展示のプラットフォームを沖縄から始めたかったかを、順を追って述べた。世界史的に見られる国民国家形成とそれと連動する万博やオリンピックの歴史を述べ、大阪万博のムービーを流した後、日本にとって二回目の国際博覧会となる今回の愛知万博が開催される際に、日本または世界における国民国家問題を考える必要がある事、さらに日本におけるプラットフォームを沖縄から開始する事で、ここで学んだ事を本土におけるプラットフォームで反映していけたらと思う、そんな話をした。

パネリストのティトス・スプリ氏はドイツに生まれ、幼少期をカナダとアメリカにて過ごした、まさに国民国家的な枠組みを幼少から経験してきたアーティストである。パワーポイントによる彼のプレゼンテーションは、カナダのトロントにおける彼の幼稚園時代の集合写真、すなわち異なった人種・文化・言語の混合した中で過ごした少年時代の話から始まった。そういった彼のバックグラウンドが、彼のアジアに対する関心へと移って行き、トルコ、そして東京でのアーティスト活動へと展開して行った後、現在は沖縄にたどり着いたと言う。また解説の為に彼が用意してくれた、ドイツという国家形成のプロセスをパワーポイントで分かりやすく見せたプレゼンテーションは、ヨーロッパにおける国境問題やアイデンティティ問題についてあまり親しみのない方にとって、絶好の理解の機会であったかと思う。

彼の生い立ちに関する解説は、彼の作品である、たった一畳のサイズでできた移動式事務所マイクロ・オフィスとの関連性を裏付けるには十分な内容であった。彼は人間が土地を所有するという概念や、ネイティビティという考えに違和感を持っている様だが、それは彼のこの生い立ちに深い関係がある、と容易に理解できる、とても優れたプレゼンテーションであった。
 
沖縄にて活動するアーティストの山城知佳子氏は、自身のパフォーマンス作品3部作「オキナワTOURIST」の映像を見せながら作品の解説をしてくれた。「墓庭エイサー」は、頭に紙袋をかぶった青年会の若者が、ある種沖縄を象徴する「亀甲墓」の墓庭にてエイサーを踊るというパフォーマンスであった。エイサーはそもそもお盆の際に、本土の盆踊りと同じく、祖先の霊を慰めるための踊りとして発生したが、山城氏はそれが観光用にアレンジされているのに違和感を覚え、そのルーツと言える沖縄のシンボルとも言える亀甲墓の前であえて踊る、というパフォーマンスを行った。身体にエイサーのリズムが染み込んでいる青年会の若者も、紙袋をかぶりエイサーを踊っている為、だんだんその隊形が崩れていく、そんな中に沖縄の先の見えない現状とアーティストのメッセージが垣間見えた。

2番目の作品「にほんへのたび」は、国会議事堂の前にて沖縄の観光PRをアーティストが行なうというものであり、最後の「I Like Okinawa Sweet」と呼ばれるビデオ作品は、米軍のフェンスに寄りかかったアーティスト山城自身が、真夏の太陽の下、アメリカ生まれの沖縄育ちであるブルーシール・ブランドのアイスクリームを食べ続けるという作品であった。彼女が見せた全作品に、沖縄の現状、そして本土との距離感が垣間見え、また作品そのものも大変な良作であった。
 
面白かったのは、山城氏の作品に対して、沖縄の方から多くの質問が出た事である。沖縄の伝統や現状をテーマとしている山城氏への眼差しは、優しいと同時に厳しいものであり、沖縄において現代美術と伝統をクロスオーバーする事は容易な事ではない、そう感じるには十分すぎる反応であった。また沖縄は東京やニューヨークと異なり、制度としての美術が確立していない為か、美術作品に対する批評、というよりも参加者の意見的な発言が多く見られた。

沖縄という非常に難解なテーマを扱った為、プラットフォームに参加した沖縄の方の反論が怖かった部分もあるのだが、思った以上に異論や反論が少なかったのが不安であり、そして意外でもあった。私はプレゼンテーションを始める際、まずこう述べた。「私は沖縄に怒られに来ました。大和の人間である私がニューヨークにて沖縄のアーティストの作品を、国民国家問題という枠組みで述べ、そして展示する事は非常におこがましい事であると理解しています。それでも、私はキュレーターとして、沖縄の文化を、そして現状を、より多くの人に知ってもらいたい」と。もしかしたら、この発言が沖縄の方の理解に少しでも繋がったのかもしれない。また、プラットフォーム終了後に何人かの参加者に聞いた所、基地問題などにおいて似通った意見を持った人達が集まった為、異論反論がなかったのではないか、という発言を聞いて安心すると同時に、異なった考えを持つ人の意見を聞く機会に恵まれなかったのが残念でもあった。
 
明治36年、すなわち琉球処分が完成した年の勧業博覧会において、学術人類館と呼ばれるセクションに二人の琉球人女性が陳列されるといういわゆる「人類館事件」が起こったが、それ以降、日本における沖縄の位置づけはめまぐるしく変化してきた。現在では「癒しの島」や「ちゅらさん」ブーム等により、沖縄に対するポシティブ・イメージは広がったものの、そのポシティブ・イメージも消費主義の中に飲み込まれたものであり、沖縄の抱えた多様性や、安保条約による基地の一方的な負担など、沖縄がこうむった負担は計り知れない。

今回の愛知万博は、沖縄の本土復帰以降、沖縄が日本として始めて参加する国際博覧会である。これを期に、本土において沖縄の抱える問題が、真剣に議論される機会が増える事を望む。

また、会場のレストラン「パブロ」様には大変お世話になりました。ありがとうございました。

もう一つの万博展 in ニューヨーク
2005年8月15(月)60回目の終戦記念日 〜 9月10日(土)まで

セイラの新作"Sejla-san / セイラ 夢 / Sejla Dream"はここで見れます

もう一つの万博展 in 北九州
2005年6月18日 〜 7月1日

もう一つの万博関連レクチャー in 京都
もう一つの万博プラットフォーム in 東京
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(Copyright: Shinya Watanabe)

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