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展示コンセプト

文責:渡辺真也

 日本国憲法は、1947年、アメリカ占領軍によって実質的に書かれた歴史がある。そして平和憲法として知られる第9条には、主権国家としての交戦権の放棄と戦力不保持が明記されている。

 この世界的に見ても非常に珍しくユニークな憲法上の平和主義の規定は、アメリカのニューディーラーの理想主義が反映されている。この平和主義を含んだ新憲法は、第二次大戦の苦しみを経験した当時の日本の一般市民に受け入れられ60年以上改正されることなく今日に至るが、この平和憲法と呼ばれる第9条が、現在、その存在を問われている。

 美術展覧会「アトミックサンシャインの中へ - 日本国平和憲法第九条下における戦後美術」は、日本国憲法改正の可能性のある中、戦後の国民・国家形成の根幹を担った平和憲法と、それに反応した日本の戦後美術を検証する試みである。

 憲法第9条は、戦後日本の復興と再形成に多大な影響を与えたのみならず、60年間他国との直接交戦の回避を可能にした。しかし、9条を持つことで日本は直接交戦から回避することに成功したが、日本の実質的戦争協力は、第9条が保持される限り、ねじれた状況を生み出し続ける。この日本の特異な磁場から、多くのアーティストたちは取り組むべき新たな課題を発見し、彼らの芸術に表現してきた。日本の戦後やアイデンティティ問題などをテーマとした美術作品の中には、戦後の問題、アイデンティティ問題、また憲法第9条や世界平和をテーマとしたものが少なくない。

 アトミックサンシャインとは、 1946年2月13日、GHQのホイットニー准将が、吉田茂とその側近であった白洲次郎、憲法改正を担当した国務大臣の松本烝治らと行った憲法改正会議のことである。ここで、ホイットニー准将は保守的な松本試案を一蹴し、GHQ民政局の憲法試案を「日本の状況が要求している諸原則を具体化した案」で、マッカーサーの承認済みのものだと説明した。その後、アメリカ側が公邸の庭に下がり、英文を読む時間を日本側に与えたのだが、その際、英語に長けた白洲次郎が庭に出てアメリカ人のグループに加わっていくと、ホイットニー准将は白洲にこう言った。

 「We have been enjoying your atomic sunshine.」

 この一言で、ホイットニー准将は日本側に、戦争の勝者・敗者を明確に思い起こさせ、さらにGHQ草案に示された諸規定を受け入れることが、天皇を「安泰」にする最善の保障であり、もし日本政府がこの方針を拒否するならば、最高司令官マッカーサーは日本国民に直接この草案を示す用意がある、と発言した。その後、この憲法改正における日本国とGHQの会議は「アトミック・サンシャイン会議」と呼ばれるようになる。このGHQ草案に添った形で修正した内閣案が、最終的に1946年11月3日に日本国憲法として公布された。


- コンセプト詳細 -
「戦争の世紀からの脱却 - ヨーロッパ近代の超克[1]としての憲法第9条」