鈴木邦男 (すずき・くにお)

鈴木邦男氏は1943年福島県生れの政治批評家、新右翼団体「一水会」創設者。早稲田大学在学中には学生右翼団体の指導者を務める。1970年春、早稲田大学政治経済学部博士前期課程を中退して産経新聞社に入社、72年年民族派の一水会を結成して代表となる。 

自衛隊市ヶ谷駐屯地における演説中の三島由紀夫
解釈人の森田必勝

一旦は政治活動から離れていたが、1970年11月の三島由紀夫事件で大学在学中に知り合った森田必勝が三島と共に自決したことに衝撃を受け1972年に一水会を結成、1973年に産経新聞社を退社。その後「一水会」代表として言論の立場から同会を指揮し続けた。たんなる反共右翼からの脱皮を主張。テロ、ゲリラなど非合法活動をしない、他人に強要しない、団体の威力を背景に主張を押し通さないの「非暴力三原則」を掲げ、「発言の場がないからテロだ」という右翼の論理を批判、「言論右翼」と呼ばれた。旧ソ連、東欧の共産主義国家の崩壊を目の当りにして、反共の右翼は最終的に終ったと述べ、民族主義は穏やかな郷土愛に基づくボランティア的な活動に戻るべきだと論じる。道を模索する民族派の将来を左右する人物といえる。『新右翼 民族派の歴史と現在』(彩流社)、『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)など多くの著書があり、慶応大学などにて数多くの講義を行う。

「愛国者は信用できるか」より引用

僕は日本一の愛国者だと断言できる。「君が代」は5000回以上歌い、「日の丸」も5000回以上揚げた。靖国神社には500回も参拝したし、自衛隊の基地祭でストリッパーを呼んだと聞いて防衛庁に抗議をして逮捕され、釧路に日ソ友好会館が建つと聞けば「許せん」と思って抗議に行って機動隊と乱闘になり逮捕された。

ところが最近、世の中が変わった。世相や国民の意識が奇妙に変わってきた。ソ連が崩壊し、東欧がなくなり、日本に左翼もいなくなった。そのとたん、である。にわか右翼、オタク右翼、新保守、ぷちナショナリストがどっとふえてきた。政府も文部科学省も日の丸・君が代を強制し、改憲も辞さないという雰囲気になってきた。日本一の愛国者と自負する僕でさえ戸惑うくらいだ。

愛国心は国民一人一人が、心の中に持っていればいい。口に出していったら嘘になる。また他人を批判する時の道具になるし、凶器になりやすい。だから、胸の中に秘めておくか、どうしてもいう必要があるときは、小声でそっと言ったらいい。

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